「わたしの穴 美術の穴」2019年企画                

  My Hole: Hole in Art series (2019) 

 

Space23℃ 「不定領域」 榎倉康二・高山登・藤井博    Koji Enokura / Noboru Takayama / Hiroshi Fujii

CAPSULE「享楽平面」 石井友人  Tomohito Ishii

clinic「下降庭園」 高石晃     Akira Takaishi

 

会期:2019510日(金)ー69日(日) 

開廊日時:金・土・日 12:00-18:00

 

 

企画:「わたしの穴 美術の穴」製作チーム

@Space23℃ 「不定領域」 榎倉康二・高山登・藤井博

置・域,  鉛板 , 2×1m , 1973 年
置・域, 鉛板 , 2×1m , 1973 年
無題,  綿布・皮,  73×53cm,  1995 年
無題, 綿布・皮, 73×53cm, 1995 年
遊殺―のっぺらぼう, 杭木 各2.5m , 2019 年
遊殺―のっぺらぼう, 杭木 各2.5m , 2019 年
 上から、榎倉康二《湿質》記録写真, B5, 1970、 高山登《ドラマ地下動物園2》 記録写真, B5, 1970、藤井博《波動B》記録写真, B5, 1970
上から、榎倉康二《湿質》記録写真, B5, 1970、 高山登《ドラマ地下動物園2》 記録写真, B5, 1970、藤井博《波動B》記録写真, B5, 1970
「この『不定な領域』がどのような世界なのかはそれを考える人によって違ってくる。ある人は人間の不在の不可思議さを考えるだろうし、ある人は宇宙の成り立ちの不可思議さを、またある人は社会制度と個としての人間との関係の矛盾……等。しかし表現者は常にこの『不定な領域』について思考することを強いられる。これらは実体性のないものなので、それをどの様に把握するかという事は非常に困難であるのだが、何らかの方法で把握しなければならない問題である。」(榎倉康二「タルコフスキーあるいは「不定な領域」について」『投石』東京藝術大学 油画第二研究室、1991年)

 

 

榎倉康二、高山登、藤井博らは1970年冬、高山の住むアパートの敷地内にある広大な空き地を整地し、野外展示を行いました。これが日本におけるオフミュージアム的な実践の端緒とも言われる「スペース戸塚`70」です。既存の展示空間から距離をとり野外の空間に向かったものですが、残されたドキュメントを見る限り、野外でありながら開放的な印象はなぜかそれほどなく、どこか自閉的な印象を与え、複雑な陰影を感じます。このような両義的な印象は、三人ともがそれぞれ制作した穴状の作品群によるものでしょう。写真に残されたそれらの「穴」には、彼らのその後の表現の特徴が凝縮して現れており、今見ても不思議な魅力でわたし達を惹きつけます。

 

「わたしが作品活動し始めたのは、19689年ごろからで、安保、学生紛争の真っ只中であり、社会的状況は騒然としていた。その中において私たちの日常とは、いったいどのような基盤の上に成り立っているのだろうか、という問いかけが作家活動においての基本的な意識であった。」と榎倉は後に書いていますが、1970年の段階において、彼らは自らの依って立つ大地にスコップを突き立てることで、日常空間の基盤を突き抜け、その先に到達してしまったのかもしれません。その基盤に開いた裂け目=空き地の穴は、社会変革と胎内回帰、日常性と異質性、即物性と物語性などの相反するベクトルが共存する真空状態、1970年という歴史の特異点をそのまま具現化しているかのようです。

 

この展覧会では、その榎倉、高山、藤井による戸塚の「穴」は、社会/個、日常/非日常、不透明性/透明性、物質/イメージ、現実/夢などの相反する性質が混淆しながら葛藤する特異な場であったと仮定し、そこで彼らはその後数十年に及ぶ表現活動の核となるものを得たのだと考えます。榎倉が自らの制作のテーマとして言及している「不定な領域」とは、戸塚で彼らが作り出した「穴」にこそ現れていたのではないでしょうか。

 

その「穴」をもう一度直視し、そして彼らの作品がその後いかに形を変えていったかを見ることで、空き地の穴として現れていた特異な場が1970年以降にどのように位相を変化していったかを知ることができることができるでしょう。それはすなわち、彼らが向かい合おうとしてきた日常性の基盤、つまり世界の基底面の位相変化をみることであり、今わたし達がどのような世界に生きているかを考える契機となるはずです。

 

三人の未発表の作品資料や、重要な過去作品の再現を含む貴重な展示を是非ご高覧ください。

 

@CAPSULE「享楽平面」 石井友人

左から, 《Sub image(石と鏡2)》油彩・キャンバス, 130x194cm, 2019、《享楽平面A》. タイプCプリント, 170c120cm, 2019、《享楽平面B》, モニター・ビデオカメラ・鏡, サイズ可変, 2019
左から, 《Sub image(石と鏡2)》油彩・キャンバス, 130x194cm, 2019、《享楽平面A》. タイプCプリント, 170c120cm, 2019、《享楽平面B》, モニター・ビデオカメラ・鏡, サイズ可変, 2019
享楽平面A, タイプCプリント, 170x120cm, 2019
享楽平面A, タイプCプリント, 170x120cm, 2019
享楽平面B, モニター・ビデオカメラ・鏡, サイズ可変, 2019
享楽平面B, モニター・ビデオカメラ・鏡, サイズ可変, 2019

1981年生まれの石井友人はこれまで、主にインターネットから見つけてきたイメージを光学的に分解しながら描いたような絵画作品を制作してきました。日常に溢れている情報や身の回りの風景などを構成している映像と、自分との接続関係をテーマとする石井の制作は、既存のイメージを身体に受容し、再度絵画としてそのイメージを出力するという、身体を用いた映像作りというべきものです。

 

石井によれば映像とは元々、非ー人間的な領域に属していたと言います。写真や映画の誕生の際にはおそらく、人間から独立した異質なものとしての映像の衝撃があったはずですが、映像はすぐに素材として加工されるようになり、人為的な複製品として社会の歯車に組み込まれるようになりました。映像を巡るこの変化は、現代社会特有の表層性を生み出す大きな原動力となったことでしょう。何が真実で何が虚構なのかという判断や、現実感、実在性などに関するわたし達の感覚も、映像の社会への浸透と密接な関係を持っていると言えるでしょう。

 

そのように映像が浸透している今日の社会では、主体と客体の境界面が複数化し、人は常に表層的イメージに取り囲まれています。今回石井はこれまで「Subimage 下位-イメージ」と名付けて取り組んできた、複数化する映像イメージと身体というテーマに、「スペース戸塚`70」における実践を参照しながら、物質的な次元を導入します。

 

石井は、主体と客体のインターフェースである鏡やモニターといった複数の平面、その境界に直接的な事物「石」を挟み込み、諸平面に亀裂を作り出そうとします。複数のイメージと境界面を貫入するその「穴」を通して、そこにイメージそれ自体の基盤「映像の基底面」が露呈するはずです。そこではわたし達が常日頃、目にしていながら認識する事が出来なくなっている映像の本来の姿、非ー人間的な「光の仮象の世界」が現れるでしょう。人はその「光の仮象の世界」に接続するよう試みることで、精神分析的な意味における「鏡像段階」以前の状態、自他の境のない、人間の非ー人間領域=「享楽」を感じ取ることができるはずだと石井は考えます。

 

風景であれ情報であれ、今日、常にわたし達が接しているこの表層世界に現れた「穴」、その隙間から垣間見られる「享楽平面」を是非ご覧ください。

 

@clinic「下降庭園」 高石晃

Little Bend, 穴・地面, 120x120x175cm, 2019
Little Bend, 穴・地面, 120x120x175cm, 2019
 Little Bend, インクジェットプリント, 212.3x319cm, 2019
Little Bend, インクジェットプリント, 212.3x319cm, 2019
左から, 《Steps》, アクリル・キャンバス, 162x130cm, 2019、《Bend》, インクジェットプリント, 229x344cm, 2019年、《Little Bend》, インクジェットプリント, 212.3x319cm, 2019、Corner, アクリル・キャンバス, 53×45.5cm, 2019写真:Benjamin Hosking
左から, 《Steps》, アクリル・キャンバス, 162x130cm, 2019、《Bend》, インクジェットプリント, 229x344cm, 2019年、《Little Bend》, インクジェットプリント, 212.3x319cm, 2019、Corner, アクリル・キャンバス, 53×45.5cm, 2019写真:Benjamin Hosking
「僕が本当にピンボールの呪術の世界に入りこんだのは1970年の冬のことだった。その半年ばかりを僕は暗い穴の中で過ごしたような気がする。草原のまん中に僕のサイズに合った穴を掘り、そこにすっぽりと身を埋め、そして全ての音に耳を塞いだ。」
「1973年のピンボール」村上春樹(1980年)

 

1985年生まれの高石晃はねじれ、うねるように描かれた線や、真っ二つに引き裂かれた紙、階段やテーブルなどが描かれた絵画作品を作り出してきました。それらの絵画は空間の歪み、絵の具の盛り上げ、支持体の物理的切断などの極端な操作を行うことによって絵画構造の原初的なあり方をさらけ出しているようです。

 

また高石は「わたしの穴 美術の穴」のプロジェクトを通じて、絵画作品の空間性を拡張し、庭や公園に掘られた穴による作品を制作を開始しました。高石は、穴と絵画は共に確たる実体はなく、見る人の認識の中にその根拠があるため、その構造は虚(イマジナリー)なものであると言います。そして穴と絵画の虚の構造を使うことで、人の認識や意識を支えている基盤である「精神」という不可視のものを捉えることができると考え、絵画と穴が構造的に持ちうる精神性に注目して制作を行っています。

 

穴の精神性を考えるうえで高石が参照するのは二つの「穴」、榎倉康二・高山登・羽生真・藤井博による「スペース戸塚`70」における「穴」と、村上春樹の小説世界に登場する「穴」です。「スペース戸塚`70」は高山登の下宿先の庭にて1970年の11月から制作が開始され、125日から20日にかけて発表されました。そこでの穴を使った作品群は当時から注目され、それぞれの作家を語る上で不可欠な作品となっています。

 

一方、村上春樹の小説「1973年のピンボール」には主人公が空き地に穴を掘るシーンが登場しますが、その時期は1970年の冬と設定され、奇妙なことにちょうど「スペース戸塚」が開催された時期と一致しています。高石はこの事実に触発され、その1970年という年の時代精神と「穴」の関係について思考してきました。そして戦後日本史のなかでも転換点といえる1970年に現れたこの二つの「穴」の構造を解析し、50年後の現在においてそれを発展させることで、今わたし達を取り巻く環境や精神のあり方を穴を通して示すことができるのではないかと考えています。

 

今回、高石は三軒茶屋の商店街の中に診療所兼住宅として1965年に建てられ、スキーマ設計集団によってリノベーションされたスペース、clinicにおいて、裏庭に掘られた穴と室内空間を組み合わせた展示を発表します。タイトルの「下降庭園」という言葉には、わたし達の心の奥深くへの下降とするための庭園という意図がこめられています。人は都市の中につくられたその庭園を回遊することで、日常風景の下にある構造を発見し、同時に自らの内的な世界の中を探索することができるはずだと高石は言います。

 

わたし達の意識や認識の下部構造であり、同時に社会や歴史の構造を支える基盤である「精神」の領域を「穴」によって具現化しようとする高石の試みを是非ご覧ください。